英語といっしょに暮らす

留学と英語の話、そして日々思って感じたことをマイペースに発信していくブログ

高校の授業中に弁当を食べて、大人に絶望した話

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今日は久しぶりに高校時代のことを思い出してブログを書くことにしました。

 

時間が経過すればするほど学生時代の話は記憶から薄くなっていきますが

凄く鮮明に覚えている出来事があります。

 

それは

 

”授業中にお弁当を食べたら怒られた話” 

 

普段絶対に怒らない先生が怒ったので

学校の中でちょっと”バズり”ました。笑

 

なぜ授業中にお弁当を食べたのか?

僕は不良学生ではありません。

 

学生時代はタバコも・お酒もしたこともありません。

 

じゃあ、なんで弁当を食べたのか?

 

それは

 

 

お腹が減っていたからでした。

 

僕は空腹になると集中できなくなります。

 

なので仕事中でも

「あ、お腹減ってるな」

と感じたらすぐに軽食を取ります。

 

授業中にお弁当を食べたときは、

僕は空腹を満たして、勉強に集中したかった。

 

怒られたとき、僕は割りと冷静だった

普段怒らない先生が怒ったとき、

 

周りのクラスメイトはかなり驚愕の顔をしていました。

 

怒られた当人である僕はというと

 

とても冷静でした。

 

先生が怒り終えると

僕は先生にこう聞きました。

 

「なぜお弁当を食べてはいけないんですか?」

 

すると先生はこう答えました。

 

「授業中だからに決まってるだろう。」

 

するとこう僕は返しました。

 

「授業中はなぜ食べちゃ駄目なんですか?」

 

先生は

 

「授業中は駄目に決まっているだろう!それがルールだ!」

 

と。

 

先生からそれ以上の論理が出て来る気配がなかったので

 

僕は質問をすることを辞めました。

 

先生は”ルール以上”のことを語れない

僕はその時、確信を持ちました。

 

多くの大人は”ルール”の中で生きているだけ。

そしてその一線を超えた人に対しては「おまえは間違っている」と一蹴していく。

 

”なぜそのルールが生まれたか”について考える人はほとんどいない。

 

そっちの方が頭を使わなくて良いし、そりゃあきっとそれで先生は楽。 

 

彼らの論理は

「そうゆうルールだから」

で終わっていた。

 

常に疑問を持つ大切さ

それからというもの、

疑問を持つことは更に多くなりました。

 

これはアメリカから帰ってきた後で顕著に感じますが

日本では

 

親が言ったから

先生が言ったから

上司が言ったから

社長が言ったから

 

で論理付けることが多い気がします。

 

僕は誰が言おうと疑問を持ちます。

 

それは全てのことに疑ってかかるという意味ではありませんが、

”誰が言った”か、という事実には重要性を持っていないからです。

 

世の中はわけの分からないルールでいっぱい

学生のときは学生なりの疑問がたくさんありました。

 

・なんで髪にワックスをつけてはいけないのか?

・なぜ髪を染めてはいけないのか?

 

こんな疑問に対して

 

”そうゆう校則だから”

 

それ以上のことを言える先生はほとんどいませんでした。

  

僕が怖いと思うこと

人間は、行動の8割が習慣でできている生き物で

一番怖いのは、

 

知らない間にルールの中で作られた行動がいつしか習慣化し、それに関して何も思考しなくなってしまうこと。

 

そんなことを防ぐためにも常に自分なりの思考を行うようにして、

大衆が疑問を持っていなくても

自分がおかしいと思ったら「おかしい!」と発言できる人間になりたい。 

 

これからの教育

日本の教育は学生に対して

”既存のルールに対して疑問を持つ力”を養わせなければならない、

と思っています。

 

ルールの中で、

 

学生の個性や考えを丸めてしまうのではなくて、

 

一人ひとりの考えが一意見として扱われ、

 

多様性ある教育が実現すれば、

 

日本もより良く変わっていけるのではないだろうか、

 

そう思います。