英語といっしょに暮らす

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想像の余地を持つということ -毎日”恋”をしてみる−

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以前こんな素敵なnoteを偶然見つけました。

 

 

 

『満員電車で、恋をしてみる。』というタイトルに惹かれ、特に意識もせずに開いたnote。

こんな素敵で奥ゆかしい物書きを僕はできないのだけれど、なんとも何かを書かずにはいられない気持ちにさせてくれました。

 

東京に来てから1年ほど経ちますが、「東京に来て良かったなあ。」と思ったことは正直あまりありません。

こんなに人が集まっている場所であるのにも関わらず、どこか閉鎖的で、人との関わりが凄く薄いように感じます。本音で語らうこともなく、ただなんとなく言葉を発している世界が自分には合っていません。

 

そして異常なまでの満員電車。

既に駅員さんが押し込まなければ入り切らないほどの人がいるのにも関わらず、どうやってオリンピックを迎えるのだろうと毎日のように思います。

 

そう、僕は東京の電車が好きではありません。

 

朝の電車は仕事に行きたくない大人たちの負のオーラで車内全体が包まれていて、夜はお酒に飲まれた人々で埋まる心地よくない空間。

 

少しだけ心を休めながら電車に乗れる時間と言えば、皆がオフィスで働いているであろう日中のみ。それも平日だけでしょうか。

 

そんな満員電車に乗る日常の中でも”恋が入り込む余地”を持っておきたい、と表現したこのnoteの筆者である@beck0902さん。

 

ここで少しnoteの内容を引用させて頂きます。

 

日々、目の前にどばっと流れてくる現実にいっぱいいっぱいになっていると、想像力はどんどんしぼんでいく。 それはなんだか、とても悲しいことのような気がする。

だからたとえば、満員電車の中で想像する。

目の前にいるおじさんも、子どものころ自転車に乗る練習をして、膝に何度もすり傷をつくったことがあるのだろうか。

後ろに立っているお姉さんも、中学生の頃、彼氏と撮ったプリクラを携帯の電池パックの裏に貼っていたんだろうか。

優先席に座っているおじいちゃんは、子どもの頃に食べた家庭料理の味を、今でも覚えているのだろうか。

 

 

僕は人を見ることは凄く好きでした。

いや正確に言うと今も凄く好きです。

 

けれど、このnoteに書いてある通り、満員現車の中ではいっぱいいっぱいになっていて、そこで他人の想像をしてみようと思ったこともありませんでした。

 

ただ今でも例外的に、人のことをよく見る場所でがあります。

 

それは帰り道による駅近のスーパー。

僕はスーパーで皆が買っていくものを見るのが好きだったりします。

 

卵1パックだけを買っていく人は

 

ああ、昨日卵だけ買い忘れちゃったのかな?

 

とか

 

急に卵料理を食べたくなってしまったのかな?

 

とか

 

色々と想像ができて、ストーリーが膨らみます。

 

このnoteを読んだときに、スーパーでは人に”恋をする余地”が僕には残っていたんだな、と気づきました。

でもその余白が満員電車に乗った途端になくなってしまう。

 

東京の移動の大半が電車である僕にとっては、大きな問題です。

 

だからこのnoteを見てからというもの、電車の中でも人のことを想像することを始めました。

 

この人はどんな仕事をしているんだろう。

東京にはいつから住んでいるのかな?

 

とか。

 

少しだけ、電車の中が違う場所になった気がします。

 

そんな”想像するための心の余地”について「恋をしてみる」という表現で書いてくれた@beck0902さんは、本当に素敵だなあと、改めて思います。

 

今でもときたま読み返したくなるnoteです。

 

皆さんは、想像していますか?

 

p.s.

快くnoteの引用することを承諾してくれた@beck0902さんに改めて感謝します。
ありがとうございました:)